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 「義経の首を洗った井戸」という伝説を持つ
枯れ井戸がある。
ido.jpg

井戸には教育委員会の表示杭があって以下の説明書がある。
『伝源義経首洗い井戸
「吾妻鏡」という鎌倉幕府の記録によると兄頼朝に追われた義経は
奥州(東北)で亡くなり、文治5年(1189年)に藤原泰衡から
義経の首が鎌倉に送られてきました。義経の首は首実検ののち
腰越の浜へ捨てられました。
それが潮に乗って境川を金色の亀が背にのせてさかのぼりこの辺に
漂着したのを里人がすくいあげ洗い清めた井戸と伝えられています。』
「伝」とは地域での言い伝えで、古文書等、記録の裏づけのないもの
という意味だそうだ。
看板

 井戸の近くに白旗神社がある。
元々寒川神社のあったところに、義経の亡霊に苦しんだ頼朝が
義経の霊を祀らせた、という由緒を持つ。

 白旗神社に「義経公鎮霊碑」というものが10年ほど前に建立された。
これは没後800年のあいだ離れ離れになったままだった、
義経の胴と首を一緒にして合わせ祀ろうというもの。
具体的には、宮城県栗駒からは胴体の供養地の土、
神奈川県藤沢からは首洗い井土の土と、腰越の浜砂とが、
源義経公の御魂土(みたまつち)となり合わせて鎮霊されたということだ。
(詳しいことはコチラに。)

ここで一つ疑問がある。
首を洗った井戸があるのに、首そのものを埋めた首塚はなぜ無いのか?
帝都にある将門の首塚は怨霊として今だ名高い。
将門ほどではないにしても、頼朝をして神社を作らせるほどの
亡霊力を持った義経の首は一体どこに?

先の井戸の説明看板には以下のような続きがある。
『ここから北方四〇メートル辺に義経首塚と伝える遺跡もありました。』
コチラでは北方二〇メートルとなってる)
過去形である。今はない。昔はあった。なぜ無くなったのか。

その後、首塚消滅の経緯が載ってる本を、地元の図書館で見つけた。
前の記事で話題にした、ライオンズクラブが作成した郷土資料だ。
(つづく)
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コメント

それで!
どうなったの~早く続きを教えて!!
白旗神社北側の国道すぐそばのマンションに
友人が住んでいるんだけど~
関係ないよね~v-39
銀房│URL│12/09 13:30│編集

関係無いです。
つづきは↓へ~
http://keruku.blog62.fc2.com/blog-entry-225.html
quu│URL│12/09 15:05│編集
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