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前回のprojectSのカテゴリー記事で

ケガレは伝染するものだという前提がある

と書いた。

本意からは逸れるが、このケガレについて

もう少し書き留めておく。



 日本古来から三不浄という考えがある。

赤不浄(女性の生理の血)、白不浄(出産)

黒不浄 (身内の死)。

神社の神様は不浄を嫌い、境内にその様な

ケガレたものを持ち込むのは禁忌なのだ。

私にとって白不浄は初耳で、

神道によると、出産後30日間は産婦も生まれた子も

穢れた存在ということである。

生後30日を経てやっとお宮参りに行くことを

許されるのだ。

「女人禁制」という制度が生まれ

女性蔑視が根強い日本の精神風土が透けてくる。

この日本のケガレ意識は、元々はインドのヒンズー教に

由来するのではないかという説がある。

紀元前2世紀に制定されたマヌ法典では

死と誕生が最も強いケガレとされている。

特に子を産んだ母親は不浄とされキヨメの儀式が行われた。



 身内に不幸があると、喪中と称して

一定期間社会と関係を絶つ。

ケガレが親族に乗り移ったので、それを周囲に

伝染させないようにするためだ。

葬儀の際の「清めの塩」。

なぜ清めなければならないか。

葬儀に参列したことで穢れたからだ。



 ケガレという考えは、言われのない差別の

温床である。
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 物語の中に読者を巻き込むという点で

強烈なのが不幸の手紙系です。

いまどきはチェーンメール。

20人に出してくださいという設定だと

たった7段階くらいで地球の人口を

上回ってしまうのだからネズミ算は恐ろしい。



 確かに不幸のなすりつけという点で

不幸の手紙は由々しきことだけど、ここでは

思わず書かれてある内容に巻き込まれ、

他者に回さずにはいられなくなる心理に注目したい。



 「~しないと不幸になります」



という脅し文句が全てなわけだが

自分だけは助かりたいというエゴと

連鎖から外れず他の人たちと

同じでいたいムラ根性と

信じてないけど「一応」「念のため」やっとこう

というオマジナイ感覚。

そういった心理が、この手のものの繰り返しの

再生を支えてるにちがいない。



 最近のバリエーションで、脅し文句を

より具体的にしたものもあるという。

実際メールの配信を止めたかどうか

監視している、というものだ。

曰く「[VVWXX102]という機械でメール受信者は

本社に登録されます」だの

「最新のM703ーPWというプログラムで

メールを送った人を 逆探知できる」だの。

思うに、胡散臭い「最新技術の力」より、

「なぜか不幸になる」というオカルトの方が

よっぽど本能的恐怖心を煽れると思うのだが、

そうでもないのかな。



 不幸の手紙から着想を得た 鈴木光司の『リング』は

ビデオを見ることで死ぬ。

不幸の手紙の、書かれた事を目にしただけで不幸になる

というのは、一種の言霊思想なのか。



 最後に。

不幸の手紙の陰湿さは、エンガチョに通じる

ケガレと差別の構造を内包してると思います。

犬のウンコを踏んだ子は、穢れがその身に伝染する。

その子が誰かにタッチすると、タッチされた子に

穢れがうつる、穢れを回し合う習俗。

「エンガチョ切った」とか「バーリア」と

呪文を唱えられると穢れを回せず、

最終的に穢れを誰にも移せず自身に留めてしまった者が

差別される構造。

自分が差別されないために、回ってきた穢れは

大急ぎで誰かに回さねばならないという心理。

また、穢れは伝染するものだという前提。



ここらへんは、もっと考えると面白そうなテーマです。

なんであれ、文字に恐怖を埋めることは

読者をひきつけるのに有効な手段である

という再確認でした。


渋さ知らズ ROVO Konono No.1

観てきました。



祝祭空間だた。

スイカ坊主かわいー
怪談話は,クライマックスで,聴き手の背後を指差し,

「ほら! そこに!!」と叫ぶのが常套手段のひとつです。

つまり怪談はもともと,「語り」の中に聴き手を巻き込んで

恐怖感を煽るという「メタ」的な側面を、持っているのかも

しれません。

(引用Yoshirs Roomより)



 物語の中に突然読者を巻き込んで、パニックにさせる

という仕掛けは、怖い話によく見られます。

語りでなく本として表現した中では

フレデリック ブラウン 『うしろをみるな』あたりが

古典的に有名でしょうか。

 物語を他人事として気楽に楽しんでいたのに

突然「おまえだ!」とこちらを指差されたときの

フリーフォール感覚。

その指し示す対象は、読者自身であったり

本そのものだったりします。



 本そのものを指し示すとは、語られていた内容が、

まさに今読んでいるこの本そのものだったのだと

気づかされること。

その瞬間、それまでめくっていたページが

ぐにゃりと生々しく変化し、その本自身が体温を持ち、

思わず悲鳴を挙げて取り落としてしまいそうになる

そんな感覚。

 夢野久作『ドグラマグラ』がまさにそんな本です。



そしてそれをより具体的に臨場感たっぷりに

演出したのが 都築道夫 『猫の下に釘をうて』でした。

『猫の下に釘をうて』では、作中登場人物が作者

(都築道夫)の悪口すら書いており、

終盤空白のページを挟んだり、

のど付近にだけ文章を書くという形式もトリッキー。

後書きにあるように、今確かにこの本を手にして

読んではいるけれど、果たして『猫の下に釘をうて』

は出版されたのだろうか?というパラドックス感も最高です。

ブッキッシュという言葉は、

映画化も舞台にもかけられない、

まさに本ならではのエンターテイメント

という意で『猫の下に釘をうて』に付けられた

賞賛でもありました。






本としての仕掛けを考えるにあたって

前二冊のような物理的形式ではなく、

次は内容としてのギミックを探してみましょう。



物語とは、語り手が不特定多数の聞き手に伝えるお話です。

読者は、どこかの誰かの話として、言い換えれば他人事として

本を開いたときだけ立ち現れる物語を、気楽に楽しみます。

この読者の気楽さに揺さぶりをかける手法があります。



 それまで怪人二十面相の笑い声を描写していた乱歩は

「ア々読者諸君、まだ安心わできません」と

いきなり私たちに語りかけてくるではありませんか。

謎解きの挑戦状すらこちらに叩きつけてきます。

この語り手の行う、物語の枠を越える「次元の瞬間移動」に

読者は一瞬ギクっとします。



 少々脱線しますが、

書物ではなくこれが演劇の場合、

読者は観客という立場になります。

観客とは何か?というテーゼを過激に提示したのが

寺山修司率いる天上桟敷の「観客席」という演劇でした。

kankyakuseki.jpg


 作者が世界を半分創造し、残りの半分を受け手側の創造が

補完する。表現は、作者と受け手の相互作用により

初めて一つの世界を作る、という思想。

 ところが受け手の観客ときたら、

劇場の中で「立ち会いを許された覗き魔」でしかなく

暗闇でじっと息をこらして事の成り行きを見守っているが、

決して舞台に上がってくることはない。

観客はつねに匿名であり「見えない人間」であり、

怠惰なアウトサイダーでしかない。

そこで寺山は、観客の正体をあばき、観客を

スポットライトの中に引き出し、活性化しようとしました。



 具体的にはどういうことを劇場でやったかというと

観客の名前を読み上げて出席とったり、坐っている観客に、

「そこは私の席なんですが」と、客に扮した俳優が

話しかけたり、観客の住所氏名を明かしたり、最終的には

罵倒さえしました。

私自身、紀伊国屋ホールで上演されたとき

劇中連れと二人、場内アナウンスでロビーに呼び出されました。

席を立ってノコノコ行ってみると、スタッフさんが数人いて

「あ、呼び出してすいません、もう戻ってもいいですよー」と

言われた体験があります。そしてそれはサービスだったのでしょうか、

その場に寺山修司が坐っていました。

私たちをあの大きな目でジロリと一瞥したのち、そのまま

スタッフと話していました。



 こうして「観客席」は色々な細工で観客をどうにかして

挑発しようとするのですが、

観客は「自分が観客である」という理由によって、

一切を受け入れ、虚構し、最後には拍手するのです。

「劇がどんなに変則的であっても、自分は観客でいることができる」

という自己限定。

観ているのではなく、観せられることに始終している

観客への批判を体現した演劇、

それが「観客席」でした。(引用他「時代のキーワード」より)



本の仕掛けからはだいぶ脱線。






前回紹介した仰天仕掛け本「生者と死者」と同じ

迷探偵ヨギ ガンジーシリーズです。

裏表紙に「この文庫本で試みた驚くべき企てを、

どうか明かさないでください」

とあるので、残念ながら言えません。

しかし本(この場合文庫本)ならではの

とんでもない仕掛けが施されている本です。

しかもミステリー。

その仕掛けを実行するにあたっての

膨大な努力と緻密なテクニックを思うと

気が遠くなります。



実際、手品のタネとしてみた場合、

1万円くらいの価値はあるそうで。

なのに420円。

その意味だけでもお買い得。

曖昧な表現しかできないのがもどかしー。


project Sの参考資料として、



本ならではの仕掛け



というアンテナをめぐらして

ブッキッシュな本を渉猟して

みたいと思います。



ブッキッシュ(bookish)とは

本の虫、とか

机上の空論のような、本の上だけの

実際的でないこと、

というようにマイナスな意味を表します。

でもここで探してるのは

まさに本ならではの仕掛けを持つ、

本の中の本 という意味の

ブッキッシュな本のこと。



まず最初に紹介するのは

新潮文庫 「生者と死者」泡坂妻夫 

seijya.jpg


10年前に発行された、凄い本です。

リードに「史上初、前代未聞驚愕の仕掛け本」

とありますが、誇大広告ではありません。

表紙にも

「消える短編小説」入ってます!

という赤字のキャッチが添えてありますが

まさに煙のように、それまで読んでいた短編が

消えてしまうのです。



この本は絶版なので、未読の方のために

仕掛けを説明します。

まずこの本はフランス綴じです。

「フランス綴じ」とは一定ページ毎に袋とじに

なっている古典的な装丁のスタイルです。

普通読者はペーパーナイフでそれを切り開きながら

読み進めていくわけです。



この「生者と死者」は、16ページごとに

袋とじになっています。

はじめに袋とじのままそのまま読むと短編です。

その後、袋とじを開くと長編小説ミステリーに

なってるというとんでもなさ。

一度袋とじを開いてしまうと、短編が消える

(長編の一部になる)というアクロバティックな

趣向の本です。


豆本を作りたい熱が続いております。

第二弾のコンセプトとして

せっかく本を手作りするのだから

それならではのコンテンツにしたい。

量販本にはできない仕掛けをしたい

と思いました。



たとえば...

本を開く、その行為自体が

その本の内容にリンクしていくものとか。



わかりにくい?

例えば、開かない本を作る。

蝋で封印するなり、糸で綴じちゃうなり。



んで、中身を読むためには

こじ開けないといけない。

で、無理してこじ開ける行為というのは

少しばかりのウシロメタサを生むと思うのです。

その生まれたばかりの読者のウシロメタサを

つかまえて、それをさらにほんの少し

ふくらましちゃう。

そんな不思議な本。



実現できるものなのか。

楽しく悩みちゅう。


peko.jpg


某お菓子のキャラクターに

似てる気もしないでもない

海賊マーク。



チョコも溶ける残暑です。
駅前の世界堂へ行ってみる。

額縁と画材のお店ですが、

何種類かの紙も置いてありました。

カラートレーシングペーパー

なんていうのもあるんですねー。

雪花模様の半透明紙を、試しに買ってみました。

30円。



トレペの代わりにそれで一冊作ってみる。

なんだかんだでこれで4冊目。

いい加減仕上がりに余裕が出て

ビシっとできそうなものですが

相変わらずよれよれです。



トレーシングペーパーより厚くて

しっかりしてます。肝心の美しい雪花模様は

蔵書票に隠れてよくみえません。

yukihana.jpg
(写真に撮ってもみましたが、

その差は一向にわかりません)

ということは。。トレペでokっていう結論です。



スクラップブッキングの流行のせいか

私の好きな半透明紙が、

気軽に購入できて嬉しいかぎり。

京都とか、きっとうっとりする素敵な紙が

あるんだろうなぁ。



色んな紙を見てるだけでも幸せ。




最近入手した切手の画像。

41191608_1.jpg

ビッダーズで280円で落札しました。

DDRというのは、ダンスダンスレボリューション。

ではなく、Deutsche Demokratische Republik で

今は無い国、東ドイツのことです。

1989年8月発行なので、この三ヵ月後にベルリンの壁が崩れ

翌年東西ドイツは統一されます。



FREESTAMPCATALOGUEにて検索してみると、

5枚セットであることがわかりました。

欠けてる一枚は↓

thomas.jpg

どの画像もBoshテイストの宗教画のようです。

興味がわいたので少し調べてみました。



まず、「Thomas Muntzer Ehrung」の意味。

トーマス・ミュンツァーの誉 とでも訳せば

いいのでしょうか。

トーマス・ミュンツァーとは、

「宗教改革者として、マルチン ルターと同時代の

16世紀の神学者。政治的扇動家。

理性を啓示とし、その宗教哲学は無神論につうじ

その政治綱領は300年後の共産主義につうじていた。

神秘主義者、黙示録的終末預言者、革命家。」

ということです。

かなり過激な宗教改革者だった模様。



絵のすぐ下にある、W.Tubkeは作者の名。

Werner Tübke (1929~)

中世の絵画かと思いきや、今も現役の

ドイツのアーティストの手によるもの。

uがドイツ語なので検索しにくいです。

ドイツ語の彼のwikiはこちら

そこの外部リンクから1989年オープンの

PANORAMA MUSEUMというのを発見。

よくわからないのですが、もしかしたらこの円形の建物ぐるりに

Werner.Tubkeの「Thomas Muntzer Ehrung」が描かれていると

いうのでしょうか?だとしたらさぞや圧巻!



私は寡聞にして今回初めてWerner.Tubkeのことを知りました。

日本でこのアーティストは有名なんでしょうか。

知りたいものです。



(覚書:Boshクr-チャーが踊るbucketheadのプロモーションビデオ

boo1.jpg


蔵書票に、クラフト紙を使ってみた。

悪くは無い。

悪くは無いんだけど

うーん。。。。



しばらく寝かせて熟成を待ちます。
昨日に引き続き、手帳のことを考える。

トレーシングペーパーを紅茶で染めて

暗黒度を増すことを思いつく。

皺が寄ったりしていい感じ。

表紙には革バンドを巻いてみたりする。

bo1.jpg


ページを開けるのに、いちいちバンドを

外す面倒くささが愛しい。

タイトルページはそれなりなのだが

bo2.jpg


中身がイマイチ。

貼りこんでる蔵書票がキレイすぎるのだ。

これなら、染めない方がずっと良い。

bo3.jpg


もうちょっと蔵書票のほうに古色蒼然さが

欲しいところ。でないと背景とマッチしない。

改良の余地ありでまだまだ楽しく悩む。
蔵書票もだいぶ貯まってきたので

ここらでひとつ、作品集みたいなのを

作ることにしました。



サイズは大きめの豆本サイズ(90mm×70mm)。

11枚の蔵書票を貼りこんでいくので

豆本というより手帳です。

book1.jpg


表紙はこんなかんじ。黒い布地にメタルのEと

白ペンとでタイトルを描きました。

蔵書票の複数形ということでexlibrisに、

も一個sをプラス。(文法無視)



図書館で借りてきたhow to本を参考にしたのですが

どうしてもうまくいかない所があって、一部自己流。



表紙と本文をくっつける役をしてる紙を、

遊び紙というらしいですが、ここを鮮血の赤で。

book2.jpg


蔵書票を貼る台紙として、パラフィン紙とか

キャラメルの包み紙のような蝋を塗った半透明な紙が

欲しかったのですが、ちょうどいいのがなくて

全ページ、トレーシングペーパーを使ってみました。

book3.jpg


ページをめくる感触が、薬のような

お菓子のような、ちょっと不思議な感覚で

なかなか面白いものができて自己満足。

カサカサいう音が、切手を整理してるときの

ワクワク感にも通じます。

湿布するとき昔使った、茶色のあぶら紙とか

今度は使ってみたいなぁ。
どんな人かについては

ココとかココ
出久根氏の文章が読めます。

一番に紹介したいのはやはり絵本「あめふらし」。

いきなり表紙でノックアウトです。眠そうな目、

中世画を思わせる歪んだデッサン。

お話はグリム童話。お姫さまのスカートは

ウェディングケーキの一番下の段みたい。

シュールな描写も多々あり、最高の完成度です。

ブラティスラヴァ世界絵本原画展のグランプリ作品で


スロバキアの切手にもなっちゃってます。
img20060812.jpg

Slowakia , 2005: . Illustrations bienale



次に素晴らしいのは「マーシャと白い鳥」。

私の好きな眠そう顔は出てきませんが

全ページに溢れる濃密な美しい空間は陶酔もの。


むせ返るようなジャングルの絵本もあります

「ワニ ジャングルの憂鬱 草原の無関心」

一転してアンリ・ルソー描く女蛇使いのようなタッチ。

梨木 香歩氏の実存主義的な文章も素敵。



グリム童話シリーズとして、「おかしな兄弟たち」

という本もあります。これは、絵本ではなく
挿絵ですが、

眠そう顔満載の「あめふらし」テイストなので必携。



「ルチアさん」も挿絵です。

たそがれ屋敷というあだ名のお屋敷の奥に、

お母様とお手伝いさん二人とで

ひっそりと暮らしている就学前の姉妹。

そこに新しくルチアさんというお手伝いさんが

やってくることに。彼女は姉妹にとってだけ

二人の宝物のように、青くぼうっと光って見えます。

ここじゃないどこかへの憧れについて語りかけてくる

深い児童書。



最後は「ペンキや」

絵本です。ペンキや、しんやのお話。

舞台がフランスになったりします。

「ユトリロの白」を描き切る出久根さんが凄い。


9月4日から銀座巷房で無料の原画展、

9月9日から青山クレヨンハウスで新作(!)の

「山のたんたらばあさん」の原画展があるそう。










King killing

img20060812.jpg




フレイザーの『金枝篇』でたくさん検証されている、

世界各地に伝わる神の殺害や王の殺害の物語。

フロイト流に言うならば「原父殺し」のテーマ。

昨今の、友達のような親子関係では、

倒すべき征服者が見えにくく、結局は何も乗り越えることなく

死ぬまでベタベタと甘え合った親子であり続けるものなのか。




img20060811.jpg




タイトルは映画のもじり。

「ブラザーサンシスタームーン」

内容は全く忘れてしまいましたが

裸の男女の後姿がキレイっぽくあったような、

宗教映画な印象が残っています。



理屈と耽美を求め、他人とはちょっと違って

いたいとなんとなく思っていた生意気盛りな学生の頃。

駅前で新興宗教の人に勧誘されて、

深く考えずについていき

近くのマンションの一室まで誘導され

この映画を見させられました。

確かなんとかの塔の人だったか。

部屋に入ると7、8人の若者が

このビデオを静かに鑑賞していました。

その後少しシツコクはされましたが

特に記憶に残るような事件もなく

すぐに縁が切れたような気がします。

長い手紙は二三度もらった気もしますが

返事も出さずに取りあわなかったせいでしょうか。

若気の至りとはいえ、今思うと怖いことです。

手紙が届いたということは

個人情報もペラペラ伝えていたわけで。

話題の「摂理」だったら大変なことに。。
wani4.jpg


ワニは恐竜に近い。

獰猛な動作も、酷薄そうな目つきも、獲物を捕らえる

目的のため残虐に見えるが

本人にはどうにも仕様が無い残酷さの裏で

実は無垢で純粋な心を持ってるのではないか

と、深読みさせる何かをワニは持っている。



『ワニ【ジャングルの憂鬱 草原の無関心】』を

読むと、ワニの諦念というか乾いた哀しみが残る。



横長シリーズ第四弾。
panchi2.jpg


きょうは、ジョン・テニエル(「不思議の国のアリス」の挿絵画家)

も挿絵を担当していた、19世紀イギリスの風刺漫画雑誌「パンチ」。

その発行人であるパンチ氏の絵。

元々「パンチとジュディ」はイギリスの伝統的な人形劇で

道化師のパンチは妻のジュディと喧嘩をして、ジュディを

棒で叩きのめすというキャラクター。

横長シリーズ第三弾です。


img20060807.jpg


Ouroborosとは、ギリシャ語で「尾を貪り食うモノ」と言う意味で、

自分で自分の尾をくわえて円になっている蛇(または龍)の姿です。

円を巡り始めると終わりが無く、無限に回転を続ける事から

「不死」「無限」といった意味を持ちます。



紀元前2世紀頃の異端キリスト教・グノーシス主義では、

誕生と死をくり返すウロボロスにキリスト復活を見いだし、

ウロボロスこそイエス・キリストを象徴するモノとして

崇拝しました。

蛇によって初めて人間は知識の実を食べ、知恵に目覚めた。

蛇は悪魔ではなく、神エホヴァが姿を変えたものだと唱えたのです。

悪魔と神を逆転させるこの思想を教会側は危険視し、

グノーシス派は衰退してしまいます。



中世錬金術師たちはウロボロスを「○」で記し、

「世界」「完全」という意味に用いました。

そして、ただの金属を完全な金属である黄金に変化させる「賢者の石」を

ウロボロスは表すようになりました。

更に、賢者の石が全ての知識の源であることから

ウロボロスが「知識」を意味するようにもなっていきました。



ウロボロスの意匠は、今日の無限大の記号(∞)のモデルとなった

ともいわれています。



アニメ「鋼の錬金術師」では、悪役としてウロボロス組なるものが

登場します。彼らはウロボロスの紋章を体に刻み、賢者の石を得て

命をつなぎ、メンバーの名前はキリスト教の七つの大罪に

基づいた名前がつけられています。
王冠です。

img20060806.jpg


冠で思い出した「冠婚葬祭」の冠って何?

という疑問があります。

答えは、戴冠式のような、日本で言えば元服

今でいう成人式のことだそうで(←トリビアその1)。

 トリビアその2は、ビールとかコーラの王冠のギザギザ。

あのギザギザは21個で世界共通なんだって。

目指せ、雑学王。
きょうはアンティークな鍵。

よく見ると、天使が描かれてる。

key.jpg



angel.jpg


横浜美術館シリーズ第三弾。

今回はボッシュではなく、Pieter Breughel。

彼は「農民ブリューゲル」のアダ名があるほど

農民を多く描き、美術の教科書に載ってる「雪中の狩人」

が有名だけれど、初期にはボッシュの影響下による

幻想画も描いた。



The fall of the rebel angels から、

クラリネットを吹く堕天使のフィギュア。

天上を追放されたfallen angelは数多くいる。

地獄に落とされた天使たちは異形の群れとなり

天上の天使たちと戦う。

この堕天使は鎧を纏い、羽や長い触角が虫のようで

体はまるで爬虫類のようだ。

尻尾でSを描いているのは、黒猫の蔵書票に続き

横長シリーズ第二弾でもある。




hooter.jpg


横浜美術館シリーズ第二弾。

ボッシュの「最後の審判」に描かれてるクリーチャー。

幼児は顔から直接手足を生やした人の絵を書きますが

古くは、身体の部分を省略して描くのは恐ろしいと

考えられたそうです。

フィギュアのほうは、まるでロケットの炎のような

尻尾がついてるようにみえます。
ダ・ヴィンチと同時代のオランダの画家、Hironymus Bosch 。

彼の宗教画「快楽の園 Garden of Earthly Delights」に

描かれたクリーチャーシリーズの第一弾。



bird.jpg


フグぢゃないですからね。

「快楽の園」は三枚組の祭壇画になっていて、

そのうちの右側の扉に描かれた

「地獄 Hel」の右下にいる、HELMETED BIRD MONSTER です。

ヘルメットを被り、ヘルメットから嘴を突き出した鳥の

下半身には、クレヨンしんちゃんのような

艶々したお尻があって、

そのお尻には矢が一本突き刺さってる。

頭の左側、ヘルメットの突起から糸を垂らして

ぶらさげているのは、人間の足。嘴から糸を垂らして

ぶらさげているのは、インク壷と鉛筆箱。

絵を見ると、尼僧に化けた豚が、男を誘惑しつつ、

怪しげな契約書にサインさせようとしてる。

魂を売る契約書にサインするための筆記道具を

この鳥が運んでるというわけ。



実は我が家にあるフィギュアがモデルです。

こんなものを立体化してしまう外人パワーが凄い。

横浜美術館で購入しました。



横浜美術館シリーズ、しばらく続きそうな予感。


欧風な看板もまた、良きもの。

コーヒーを古風に書くとこんな字。

kamemusi.jpg


上に乗っかってるのはなぜかカメムシ。

カメムシは臭いけど

模様がお相撲さんの顔みたいですっごく変。



カメムシのmovieはコレ

小学生男子にとりわけオススメです。



こちらはサル顔バージョン。

fukuro.jpg

  
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